2014年9月 山陰、九州一周旅行14 日本三大そば の巻
最近どうもスマホの調子が悪く更新が滞り気味になってしまってます。
スマホを更新したいところですが値段が値段なのでなかなか踏み切れないところ・・・
今日は朝に時間があるので旅行記の更新していきます!
まずは前回の記事から。
萩の観光を終えた後はひたすら列車に乗り出雲市を目指します。
キハ181系を置き換え山陰地方の高速化に大きく貢献した車両。
しかし平らな切妻形の前面はあまり好きになれないです。
特急車なのでもう少しデザインに捻りがほしいところ。
キハ120形
浜田所属の車両は青い帯が特徴的。
この頃は現役だった三江線でも使われていました。
キハ40形
おそらく浜田駅での撮影だと思います。
どこにでもいるタラコ色のキハ40形。
しかし最近では姿を消しつつあります。
浜田で乗り換え時間があったので駅前を散策です。
少し歩くとSLの姿が。
C57 165
屋外で屋根もない状態での保存ですが、状態は悪くないです。
浜田市野球場
中堅120m、両翼90m
アマチュア野球での使用が主ですが、過去にはプロ野球の開催も2試合あったようです。
しかし島根県での最後の開催は松江での1985年らしいのでそれより前。
相当前ということになります。
そして浜田といえば浜田商出身の佐々岡。
先発にリリーフにいい投手でした。
浜田を出発して出雲市まで来ました。
東京行きのサンライズ出雲が発車を待っています。
出雲に来たからには夜ご飯は出雲そば。
3段になった赤くて丸い器が特徴的な出雲そば。
ざる蕎麦みたいにつゆを入れる器がないので直接お蕎麦にかけて食べます。
出雲市で夜ご飯を食べた後はホテルが西出雲駅だったので一駅だけ列車で移動です。
381系やくも
381系は一度だけやくもで乗ったことがありますがとにかく乗り心地が悪かったです。
お酒を飲みながら乗ったらいつも以上に酔うことができました(笑)
キハ120形
益田行きの普通列車で西出雲まで。
旅も残すところあと2日です。
ではまた次回の更新になります!
2014年9月 山陰、九州一周旅行⑬ 明治維新の中心 長州藩 の巻
旅行記の更新になります。
いよいよ旅も終盤戦。
まずは前回の記事から。
今回から九州を離れて山陰を横断していきます!
しかしここでアクシデント発生。
本来の予定であれば下関から山陰線経由で萩を目指すはずだったのですが寝坊をしてしまいました💦
そのため美祢線経由で日本海側に抜けて長門市から萩を目指すことになりました。
その結果、美祢線が完乗できましたが、山陰線に未乗区間が残ることに・・・
ラッピングのキハ120形
何のラッピングか調べたところ、民話「厚狭の寝太郎」だそうです。
美祢線の様子
かつては石灰石を運ぶ貨物列車が多く設定されていたため、交換設備はかなり長めに作られています。
他の路線と比べて際立って景色がいいというわけではないですが、過去の栄光を見ることができるなかなか面白い路線でした。
列車の本数がスカスカです。
地方の路線は厳しい・・・
萩市内は自転車で回ります。
多くの偉人たちが誕生している場所。
質素な作りです。
萩城は日本海に突き出した三角州に作られており背後には指月山があります。
残念ながら廃城令で天守は取り壊されて復元もされていません。
海辺をサイクリングです。
萩城のある指月山が遠くに見えます
天気も良く海が綺麗です。
日本海側でもこんなに青く海が見えるんですね。
昼食は道の駅でお寿司です。
あまり印象に残っていないので可もなく不可もなくだったのでしょう(笑)
この後も山陰旅行が続きますがまた次回になります!
2014年9月 山陰、九州一周旅行⑫ 30億円の額縁 の巻
こんばんは!
仕事で色々ありお疲れモードです。
しかしそんなこと気にせず旅行記の更新していきます!
まずは前回の旅行記から。
吉野ヶ里遺跡を見学した後は宿がある小倉を目指して進みます。
いよいよ九州ともお別れが近づいてきています。
機関車はDF200
ななつ星用の特別仕様なので貨物用のとは雰囲気がまったく違います。
ヨーロッパの鉄道のような雰囲気です。
77系客車
きっとここから見る背面展望は最高なんでしょう。
30億円の額縁なんてネーミングも付いています。
編成の価格が30億円、ここから見る景色を額縁の絵に例えてネーミングが付いたそうです。
DE10
入れ替えや推進運転をするための機関車です。
色合いをななつ星に合わせてあります。
18きっぷでいかに安く旅行をするか考えている人間にとっては夢のまた夢の存在です。
西日本エリアは大河ドラマで沸いていたようです。
783系ハウステンボス
485系時代から続く奇抜なカラーリングです。
ただあまり似合ってないような気が・・・
811系
ポケモンのラッピングがされています。
夏休みイベントのポケモンスタンプラリーに合わせてされていたようです。
いつでも人気者のピカチュウ。
所変わって門司港へ
夜の門司港はなかなか雰囲気が良かったです。
門司港駅での813系
前面のLEDが違和感たっぷりです。
バス用のLEDを使っているため視認性は高いですが違和感ありすぎです。
最後に関門海峡を渡り下関へお散歩です。
バス停で見つけた謎の行き先
2005年に閉園となった山口ニュージーランド村のことのようです。
これだけ見ると謎過ぎます(笑)
そんな感じで今回の更新はここまでです。
次回から山陰に入っていきます!
2014年9月 山陰、九州一周旅行⑪ 日本最大規模の遺跡 吉野ヶ里 の巻
こんばんは!
夜遅くなりましたが更新していきます。
前回は少しテーマを変えましたが再び旅行記に戻ります。
まずは前回の旅行記から。
西大山に到達し旅もいよいよ後半戦です。
この日は鹿児島中央から肥薩おれんじ鉄道経由、途中吉野ヶ里遺跡に立ち寄りながら小倉を目指します。
九州を縦断する大移動になります。
ここに来ての九州縦断は鉄道に興味のない友人にとっては相当しんどいものだったようです。
しかし名古屋に帰るために進みます(笑)
肥薩おれんじ鉄道は九州新幹線開業の先行開業により第三セクターに転換された路線。
JR時代は鹿児島本線として幹線でしたが今では単行の気動車が走るローカル線に。
しかし貨物輸送は盛んなため電化設備は残されています。
肥薩おれんじ鉄道は当然18切符で乗れませんが、18切符を提示することでおれんじ18きっぷなるフリー切符を買うことができるため今回、購入しました。
HSOR-100形
地方の鉄道では標準的な気動車です。
新しい車両ですが、よく見ると貫通扉のところがボロボロに・・・
第三セクターの厳しさを感じます。
こちらはオレンジ一色で顔が描かれています。
肥薩おれんじ鉄道の車窓について。
海沿いを走る区間が多いので車窓は素晴らしいです。
なかなかここまで海沿いを走る路線はないです。
路線に関しては元は鹿児島本線というだけあって長大なホームの主要駅がいくつかありますが走るのは単行の気動車。
かつての栄光はどこにもありません。
終着の八代でJRの列車に乗り換えです。
おそらく783系の画像も八代だと思うのですが、なぜ783系がいるんでしょうか?
それとも記憶違いなのかな・・・
815系に乗り鳥栖まで一気に北上てす。
815系のデザインはイマイチ好きになれません。
811系と813系が好きだったので特にそう思うのかもしれませんが・・・
鹿児島本線を北上すると途中西南戦争の最後の地である田原坂を通ります。
歴史の授業で誰もが一度は聞いたことのある場所でしょう。
しかし本格的に発掘調査がされたのは平成になってから。
驚くほど最近なのです。
墳丘墓
弥生時代のお墓がそのまま残っています。
弥生時代というと2000年ほど前の時代。
気が遠くなるほど昔です。
主祭殿
吉野ヶ里遺跡で1番大きな建物。
クニ全体の重要な決め事や重要な祀りが行われる場所だったそうです。
物見櫓
弥生時代は他のクニと争いが絶えない時代。
そのため周りを環濠や柵で囲み、物見櫓を作るなど常に争いに備えていました。
吉野ヶ里遺跡の全体像
こうやって見ると非常に広大であることがわかります。
さよなら700系C編成 ラストランのぞみ315号運休
3月1日の団体列車をもって700系は東海道新幹線から引退となりました。
本来は3月8日のぞみ315号がラストランでしたがコロナウィルスの影響で運休に。
カモノハシと呼ばれた特徴ある前面デザイン。
登場時に感じたカッコ悪さ。
いつまでたってもカッコ悪い新幹線のままでした。
しかし700系自体には非常に思い出があります。
小学生の頃に家族でディズニーへ行く際は700系、中学校の修学旅行も700系、大学時代に当時お付き合いしていた人に会うために浜松へ行く際も700系。
様々な場面で700系にはお世話になってきました。
そして700系といえばAMBITIOUS JAPAN!
2003年の品川開業時のダイヤ改正で東海道新幹線はのぞみ中心のダイヤに。
その時の700系は名実ともに東海道新幹線のエースであり1番輝いていた瞬間でした。
2007年のN700系登場以降は徐々に脇役になりつつありましたがN700Sの登場で遂に引退となってしまいました。
特徴であってカモノハシの鼻はN700系以降の新幹線にも受け継がれ、700系という名前も受け継がれています。
それだけ700系は完成度の高い列車だったということでしょう。
コロナウィルスの影響でラストランが運休になってしまったのは残念ですが仕方のないことです。
ここまでは700系について懐かしむような記事でしたが最後に一言だけ。
ラストランにありがちなことなので仕方ないのですが、のぞみ315号もヤフオク等で高額で多数出品されていました。
東京から新大阪間で5万円というあり得ない数字も。
もちろん値段が跳ね上がることがわかって出品する出品者が1番悪いのですが、買う方も買う方です。
定価からスタートしたものに対してどんどん値段を吊り上げているのは購入者なのですから。
今、不足しているマスクにしてもそうです。
高額で買う人がいるから必要のない人が利益目的で大量に買うのです。
転売ヤーから高値で買う人にも大きな問題があるでしょう。
ヤフオク等で値段が跳ね上がっていたのを見ると運休になってよかったと思ってしまうところがあります。
どれだけ高い値段で転売ヤーから購入しようと返金されるのは定価のみです。
つまり今回、ヤフオクで落札した人は大損しているのです。
記念品がどれくらいの価値になるかにもよりますが。
今回の運休を教訓にして転売ヤーから購入するのはやめていただきたいものです。
購入する人がいなくなれば転売目的で購入する人もいなくなります。
そして本当に乗りたい人が乗ることができるようになってほしいものです。
ちなみにこれだけ色々と書きましたが10時打ちに参加すらもしてません(笑)
今の住んでいる場所では東海道新幹線に乗るのはハードル高いですから(^_^;)
2014年9月 山陰、九州一周旅行⑩ JR最南端 旅のゴール の巻
指宿を出発した後は更に南へ向かいます。
30分ほどかけて今回の目的地の一つ西大山駅へ!
言わずと知れたJR最南端の駅です。
これより南にある駅は沖縄のゆいレールのみなので、普通鉄道としては日本最南端になります。
そしてこの西大山駅は開聞岳をバックに綺麗な景色を楽しむこともできます!
指宿から乗ってきたキハ40を見送ります。
JR日本最南端の標柱と開聞岳。
天気が悪く開聞岳に雲がかかってしまってます。
どこもかしこもJR日本最南端の表示があります。
幸せを届ける黄色いポスト
このポストで手紙を届けた人は本当に幸せになったんでしょうか?(笑)
日本最南端の踏切大山踏切
沖縄には踏切がないので正真正銘日本最南端の踏切です。
だからどうしたって話ですが(笑)
西大山駅付近の線路はこんな感じ。
線路が草に埋もれかかってます。
どこか南国ぽい雰囲気があります。
帰りの列車の時間になったのでホームへ。
開聞岳をバックにJR日本最南端の標柱とキハ40。
定番の構図です。
晴れていればもっと綺麗だったんだろうなと思います。
鹿児島に戻って来ました。
783系 きりしま
停車駅が多いことで有名な特急。
列車によっては通過駅が錦江と竜ヶ水の2駅のみ。
竜ヶ水は普通列車でも半数は通過するので実質1駅というとんでもない列車も(笑)
その分特急料金は安いですしこまめに停車した方が利用者としてはいいのかもしれません。
鹿児島に戻ってきた後は友人は長旅でバテバテだったので1人で鹿児島市内を散策です。
記憶では天文館をぶらぶらした後は桜島フェリーに乗り用もなく桜島に渡ったかと思います。
そして鹿児島で驚かされたのがこれ!
クレープの自販機です。
前回の鹿児島旅行でも見つけたのですが今回も見つけたので買ってみました。
どうやら鹿児島だけでなく宮崎にもあるようなので南九州では定着してるんですかね?
クレープは瓶に入って出てきます。
味は悪くなかったです!
今回の更新はここまでです!
旅としてはひとまずゴールに着きましたが、まだまだ名古屋に帰る道のりが残ってます(笑)
当然飛行機などは使わず18切符でひたすら普通列車です(笑)
山陰経由で名古屋を目指していきます!
さよなら名鉄1700系
おはようございます!
最近は旅行記の更新ばかりでしたので、今回は消えゆく名鉄1700系について更新していきたいと思います。
元々は全車特別車の特急用車両1600系として1999年に登場した1700系。
当時残っていた白帯車の特急置き換えとセントレア開業に向けて導入された車両でした。
白帯車の置き換えはなされたものの、空港アクセス特急は空港開業時に製造されたミュースカイが使われることに。
皮肉なことに空港アクセスに向けて作られたはずの1600系は空港開業によって中途半端な存在となり西尾線の特急として使われていました。
しかし車体傾斜装置や貫通扉の設置などミュースカイに通ずるところもありまったく無駄なものではなかったと思います。
1600系に大きな転機が訪れたのは2008年。
ミュースカイ以外は全車特別車特急を廃止とすることになり1600系は編成を組み替え新造の2300系と編成を組み1700系と呼ばれるようになりました。
その際に不要になった車両は廃車に。
わずか9年の命でした。
編成の組み替えにより残った車両は安泰かと思われたものの1700系と2300系の相性が良くなかったようで、置き換えが始まってしまいました。
登場からわずか21年。
残念な限りです。
新塗装後の姿
1600系に似た雰囲気で好きなデザインでした。
1999年登場ということもありまったく古さを感じません。
登場後の姿
1700系に改造された際はこんな雰囲気でした。
2200系に合わせた雰囲気のためブラックフェイス。
違和感たっぷりです(笑)
正直こちらのデザインはあまり好きではなかったです。
2015年からの塗装変更で過去のものに。