2015年1月 名鉄乗りつぶしの旅③ 盲腸線巡り の巻
今日は仕事終わりの更新。
ようやく1週間も終わりですね。
週末ということで贅沢をしてお寿司を食べつつお酒を飲んでの帰宅。
最近ストレスが溜まりまくりでしたので久しぶりに発散ができました。
明日から連休ですが予定は特にないです💦
そしてまたコロナが増えてきてしまいましたね。
いつになったら収束するのやら。
旅行にもなかなか出られないので過去の旅行記を引き続き。
まずは前回の記事から。
築港線に乗車し大江で常滑線に乗り換えた後は、名古屋本線、津島線、尾西線経由で弥富へ。
弥富駅はJRとの共用駅
JRの関西線沿いは近鉄の勢力圏であり、弥富で名鉄を見るというのは不思議な感じ。
弥富はJR、近鉄、名鉄の3社が利用でき、これは名古屋駅を除けば唯一です。
しかし名鉄を使って弥富から名古屋に行く人はいないでしょう。
おそらく大半が近鉄で遠回りの名鉄を使うことは無いと思います。
弥富駅の特徴はもう一つ。
海抜0m地帯にあるため、日本で一番低い地上駅と言われています。
-0.93mの場所にあるそうです。
しかし数字が地味過ぎて何とも言えません笑
弥富を出た後は尾西線を北上。
一宮で奥町方面へ折り返し玉ノ井へ。
通称玉ノ井線に乗車です。
愛知県にしては珍しく雪が薄っすら積もっています。
一宮から約4キロほどの短い支線。
こういった支線は生活路線なので乗りつぶし目的でしか来ることのない路線。
そんな路線でも名古屋から岐阜までのメインルートだったこともあるようです。
玉ノ井から先木曽川橋まで旅客線が延びておりそこから渡し船で笠松へ行き、笠松からまた鉄路に戻るルート
羽島線自体は江吉良から新羽島の1駅だけですが、すべての列車が竹鼻線に直通しているため同一線のようなもの。
羽島線は新幹線の岐阜羽島との接続を図るために作られた路線であり、もともと竹鼻線は江吉良から先大須まで伸びていましたが、2001年に江吉良より先が廃止になってしまいました。
羽島線の状況ですが、岐阜羽島で新幹線と接続をしているものの岐阜羽島は新幹線の停車本数も少なく、岐阜から名古屋は距離も近いため名古屋から新幹線に乗る人が大半のようです。
そりゃそうですよね。
名古屋に出ればのぞみが止まるんですから。
2015年1月 名鉄乗りつぶしの旅② 工業地帯を走る築港線 の巻
11月も後半に差し掛かるのに今日は暖かい1日でしたね。
この時期に寒くないのは違和感ありまくりです。
コートを着て厚着をしたのに寒くない。
むしろコートを着たら暑いくらいでした。
寒暖差が大きいと着る服に悩んでしまいます。
それでは今回も旅行記の更新です。
まずは前回の記事から。
内海駅をすぐに折り返し、今度はこちらも未乗区間である河和線の富貴から河和間へ。
3本も列車が並ぶと賑やかです。
パノラマスーパーはやっぱり旧塗装がしっくりきます。
リニューアルにより内装もどこか安っぽい雰囲気になりあまり好きになれません。
河和や内海などの知多半島の奥の方は家族旅行ではよく来ていたのですが電車で来るのは初めてなので新鮮。
両親の出身が知多半島なので昔から馴染みのある地域です。
大江駅まで来ました。
大江といえば築港線。
関西でいうなら和田岬線のような路線。
朝夕のみしか列車が走っておらず、大江の次は終点の東名古屋港というミニ路線。
しかし名鉄の車両が必ず1度は通る路線でもあります。
新車としての搬入経路でもあり、解体場所でもある築港線。
築港線の使用車両は5000系。
LEDが付いていながら行先系統板を使用しています。
ちなみに大江というと思い出すのがHSST、リニアモーターカーの試験線。
祖父母の家に行く際に常滑線の急行に乗っているといつも見えていたリニアモーターカー。
自分が記憶のある頃の車両は流線型が特徴的なHSST-100L
今のリニモの車両の前身になった車両です。
個人的にはこちらのがカッコ良かったので好きでした。
そんな大江の実験線も最後はリニモの車両が運び込まれ試運転。
そして気づいた頃には無くなっていました。
写りのいい写真がないのでこんなのしか…
そしてすぐに折り返したのでした。
この頃の自分に言えることがあるなら、もう少し写真を撮っておけと言いたいものです笑
築港線のホーム
大江駅の外れた場所にあり、途中には中間改札もあります。
大江から再び常滑線に戻り次の線区へ進みます。
では今回はここまでです。
また次回は名鉄編の更新です。
2015年1月 名鉄乗りつぶしの旅① 衰退した新線、知多新線の巻
今回から新しい旅行記に入ります。
出身が名古屋、また祖父母の家が名鉄沿線なので昔から電車といえば名鉄電車。
初めて1人で乗った電車も名鉄電車。
そんな名鉄電車ですがまだ乗れてない区間が結構あったのでそれらを乗りつぶしたいと思い決行したのが今回の旅行記。
そして効率良く回るにはどうしたらいいか調べていたところ2ちゃんねるに1日で名鉄全線に乗る方法なるスレが。
中部国際空港を始発で出発して最終電車で瀬戸線で尾張瀬戸に行けば達成できるというもの。
しかしそんなのできるわけありません笑
なので可能な限り回るのが今回の旅行です。
ちなみに名鉄を安く乗り潰すために実行したのは1月2日、新年早々です。
名鉄では毎年正月三が日に迎春1DAYフリーきっぷを発売しており1700円で名鉄全線が乗り放題。
非常におトクな切符を発売しているのです。
そんな迎春1DAYフリーきっぷを手に旅行を始めました。
まずは始発の名鉄名古屋駅
始発から3本すべてが中部国際空港行き。
飛行機の早朝便に合わせて走っているんでしょうね。
まずは2本目の快速急行中部国際空港行きに乗車し、太田川で乗り換え知多新線の内海駅へ向かいます。
太田川から先、中部国際空港までは乗車済みなので今回は乗りません。
朝の快速急行はSR車
5300系か5700系ですが既に過去のもの。
パノラマカーほどではないにしよ前面展望が楽しめるいい車両でした。
2扉転換クロスの車両が大好きなのですが今の時代には合わないでしょうね。
3扉転換クロスから最近では3扉ロングシートが主流になりつつあります。
新線というだけあってトンネルや高架橋が連続。
しかし新線と言ってもすでに開業から40年。
どこが新線だというレベルです笑
豊田線や羽島線からは新線が取れたのにここだけ新線のままです。
たしかに知多線では違和感がありますが。
内海駅は2面4線の高架駅。
バブルの頃は海水浴客で賑わったのかもしれませんが、今では持て余し気味。
さらに平日には全車一般車の特急が走るなど完全に全盛期の面影はありません。
旧塗装を久しぶりに見ると新鮮です。
新塗装と比べると赤が控えめなのであまり好みではないカラーリングでした。
やっぱり名鉄は赤を目立たせないと。
こちらは2200系
赤いラインが入っていない頃です。
ラインの違いだけなので今と比べてもあまり変化はありません。
名鉄伝統の展望車もなければ一般車の座席もあまり良くありません。
乗れるならパノラマスーパーに乗りたいものです。
今回はここまでです。
次回も名鉄編の更新になります!
2014年12月 北陸から東北大旅行⑨ 懐かしの189系 の巻 終
今日は火曜日。
まだまだ週末が遠く、早く週末になってほしいものです笑
昼間は暖かかったですが、日が陰ってくると寒かったですね。
そんな寒い日は暖かいものが食べたくなる季節。
お鍋もいいですが、熱燗を呑みながらおつまみを突っつくのもいいですね。
今週末は居酒屋に行って呑もうかな。
そんな気分で残り3日間、仕事を頑張りたいと思います。
では旅行記になります。
今回で北陸から東北大旅行は終了です。
廃止になる車両や列車、路線を巡るとにかく乗るだけの旅客でした。
次回からは大きく旅行内容が変わるのでお楽しみに。
まずは前回の記事から。
今回の旅行のメインの一つ
そして長野から先、直江津までの信越本線が並行在来線として3セクに転換されるのでJR時代に乗り潰しです。
列車名がついていますが各駅停車。
とはいえ車両は特急車の189系。
快適に旅行ができます。
旅の3日目に来た直江津に再び到着です笑
ほくほく線のゆめぞら
トンネルが多く景色が見えないことを逆手に取り、車内に映像装置を入れトンネル内で映像投影ができる車両。
ゆめぞらは2、3年前に1度乗ったことがありますが、音と映像が思った以上に迫力がありました。
見えないから何かする。
こういうアイデアは大好きです。
直江津から先は時間さえ合えば快速くびき野に乗りたかったのですが、時間が合わなかったので普通列車で移動。
車両だけ見ればまだまだJR初期の雰囲気が残っていました。
この頃は当たり前にいた115系。
今では大半がE129系に変わっています。
新潟の115系もいつまで走り続けるのか。
停車時間に車内から撮影です。
間近に海を望むことができるスポットです。
そしてこの青海川駅はドラマ高校教師で出てきた場所でもあります。
リアルタイムでは見ていませんがDVDで見て以来大ファンのドラマ。
あれの結末はどうなったんでしょうかね?
青海川を過ぎた後は日も暮れて来ましたので写真はありません。
長岡に出た後は上越線、高崎線で都内に戻り翌日に東海道新幹線で名古屋に帰ったはずです。
大学時代最後の長期間の旅行。
国内旅行で3泊以上したのはおそらくこの時が最後。
今振り返ると大学時代はとにかく自由で時間が有り余っていたなと。
もう一度この頃に戻りたいものです。
2014年12月 北陸から東北大旅行⑧ 旧信越線ルートで長野へ
今日も1日終わりです。
最近は疲れとストレスから極度の体調不良。
こんな時は気晴らしにどこかに旅行へ行きたいもの。
コロナは第3波になりつつありますが、人混みを避けて感染対策を取りながらある程度は日常生活を取るべきかと思います。
もちろん感染しないのが1番なのですが、感染を恐れ過ぎるあまり行動を制限し過ぎるのも如何なものかと思います。
たしかに未知のウイルスであり、感染した場合の長期的な影響はわからないかもしれません。
しかし少なくとも人類滅亡するようなレベルの致死率はないことは確か。
一人一人が行動に気をつけて生活していく時期ではないでしょうか?
コロナになって亡くなるよりも、生活の張りがなくなって鬱っぽくなる人が多い方が問題のような気がします。
そんな暗い話をしていても仕方ないので旅行記の更新です。
まずは前回の記事から。
前日に東京に到着しましたがまだ旅は続きます。
この日は東京から特急あさまのルートで長野を経由して直江津へ、直江津から先も信越本線を使い長岡て折り返しして上越線、高崎線で都内に戻るルート。
またまた乗るだけの旅行になります、
まずは早朝の横川駅から。
逆光が酷いですが115系。
高崎エリアから115系も消えてしまい過去の光景に。
まだまだ115系はしなの鉄道とかで当たり前のように走っていますが、この頃と比べると全国的に姿を消し始めています。
最後まで115系が残るのはどこの地域になるのでしょうかね?
横川から先は鉄路がないのでバスになります。
碓氷峠が廃止になった時はまだ5歳。
薄らとしか記憶にありません。
廃止になった路線の中でも乗ってみたかった路線の1つです。
バスで碓氷峠を越えると到着するのが軽井沢。
旧軽井沢駅舎記念館にはゆかりのある車両が保存されています。
169系
しなの鉄道にも譲渡され活躍をしていました。
急行型といえばやっぱりこの形。
湘南色であることもポイントです。
EC40
さすがに古すぎるので何とも…
日本最初の電気機関車。
ドイツからの輸入車だけあって雰囲気が日本のものとは全く違います。
Cの表記からも分かる通り、動軸数が奇数。
ECなんて聞いたことがないと思ったら奇数の電気機関車はこれが唯一だそうです。
EF63
碓氷峠といえばこれです。
189系との協調運転は経験してみたかったものです。
旧軽井沢駅舎記念館を一通り見学したあとはしなの鉄道に乗り長野へ
JRの塗装そのままのが来ました。
この頃はJRでも当たり前のような115系が走っていたので珍しさを感じませんでしたが、今ではしなの鉄道でしかこの塗装も見ることができません。
長野到着後は善光寺へ
雪の善光寺もいいものです。
雪が少ないところで育つと雪を見るだけでテンションが上がってしまいます笑
きっと雪国育ちの人からしたら信じられないでしょうけど。
そしてそんなことを言っていた自分がまさか長野に住むとは思いもしませんでしたが…
それでは今回の更新はここまでです。
いいねやコメントお待ちしてます!
185系 ホームライナー小田原
パソコンのデータを漁っていたらホームライナー小田原の画像が出てきたので少しだけ。
来春のダイヤ改正でJR東日本からはホームライナーが消滅します。
近年では首都圏各地で走っていたホームライナーが徐々に削減。
中央ライナーが消滅した時点でホームライナー小田原、湘南ライナー共に消滅するのは明らかでした。
東海道線系統のホームライナーが消滅することによって気になるのが停車駅。
現在は横浜通過ですが、特急湘南になったら横浜の扱いはどうなるんでしょうかね?
個人的には横浜にも停車するような気がしますが。
ホームライナーと異なり特急券なら1つの座席を区間で区切ることも可能ですし。
どういったダイヤになるかは発表が待ち遠しいです。
国鉄特急車の特徴であったヘッドマークも今では見ることが少なくなりました。
側面は行先ではなく列車名のみ
列車名=行先なので問題はないんですけどね。
いよいよ終わりが近づいてきた185系。
コロナがなければ静かなうちに185系を追おうと思っていたのですがそれも難しそうです。
もしかするとこのまま185系を見ることなく引退ということもありそう。
これまでに何度も見てはいるので思い残すことはないですが、最後にもう一度見たかったものです。
2014年12月 北陸から東北大旅行⑦ 秋田から東京大移動 の巻
今日は休みでしたが夜の更新です。
仕事の疲れなのか1日ぐったりしてました。
不規則勤務から規則的な勤務になるのはしんどいです💦
もともと不規則な生活をしていたので規則的な生活は苦手なのです。
それでは今日の旅行記の更新です。
まずは前回の記事から。
旅行は秋田からスタートです。
この日は奥羽本線で福島まで抜けた後はひたすら東北本線を南下して東京に向かいます。
前日に引き続きひたすら乗り鉄の1日です。
まずは701系に乗り新庄へ
しかしこの列車に乗っている際に事件が発生。
詳細は次の画像で…
新庄に着いた701系
運転台の反対側にガムテープが貼られています。
というのも後三年駅付近で架線からの落雪が電車に直撃。
窓ガラスが割れてしまったのです。
雪国ならではのトラブルですね。
しかしそれでもガムテープで補強して運転再開したのには驚きました。
新庄からは719系に乗り換え
隣にはおしどりカラーのE3系つばさが
どうしてこんな色にしてしまったんでしょうかね?
まったく似合ってないです。
新庄では時間があったので陸羽東線の車両の写真も撮影
キハ110系
東北ならどこにでもいる車両ですが、自分の住んでいる地域でない車両は珍しいものです。
新庄から先もひたすら普通列車のみで移動。
途中板谷峠も越えているのですがあまり記憶にありません。
大雪で辺り一面銀世界でだれてたのかもしれません。
あいづライナーの485系
翌春のダイヤ改正で運転取りやめになっているので最晩年です。
思えば485系が最後の活躍をしていたのはこの頃でしたね。
あれから5年が経ち日本全国で当たり前に見られた485系は改造車のみになってしまいました。
東北本線は景色の変化に乏しいので好きになれないです。
東京に着いた頃には辺りは真っ暗になってました。
今回の更新はここまでです。
いいねやコメントお待ちしてます!