2020年11月 富士急に乗り富士急ハイランドへ① 特急富士回遊 の巻
今日は休みだったので富士急に乗り富士急ハイランドへ
目的はトーマスランドに行くことと、富士回遊に乗ることです。
子供の頃はとにかく絶叫系の乗り物が大嫌いで絶対に行くことはないと思っていた富士急ハイランド。
しかし大人になると周りの環境とかで変わるものですね。
好き好んで乗ろうと思わないですが、乗ると案外平気で楽しかったりしますし笑
それではしばらくの間富士急の記事にしたいと思います。
アメリカの記事は時間かかるのでつなぎにもなりますし。
それではいきましょう。
まずは大月駅からスタート。
富士回遊に乗ります。
JRと富士急の直通列車でまず思い浮かぶのが189系を使っていたホリデー快速。
特急車を使いながら特急料金はかからないので乗り得な列車でした。
しかし中央線特急のスワロー化により特急へ格上げ。
その結果生まれたのが富士回遊でした。
しかし今まで6両だったのが3両になり、インバウンド需要もあり慢性的な混雑となってしまいました。
もう一つ思い浮かぶ列車は急行かわぐち。
もちろん生まれてもいないので当然乗ったこともないのですが、今の富士回遊と同じような運転。
急行かいじと連結し、大月で分割していた列車。
ホリデー快速は臨時列車ですが、急行かわぐちは定期列車だったので、富士回遊はホリデー快速というよりは急行かわぐちの後継と言った方が良さそうです。
前の9両がかいじ、後の3両が富士回遊なので大月駅から乗る際はかなり後ろ寄りの停車です。
ヘッドマークがないので普段乗るあずさと違いがないのが残念なところ。
それでも方向幕には個性が出ています。
富士山のイラストとともに列車名が出ています。
あずさやかいじでもこういう演出をしてもらえると嬉しいんですけどね。
行き先は富士山と河口湖の併記
未だに富士山駅という名前に違和感しか感じません。
富士吉田市の中心駅なんですから富士吉田駅のままにしておくべきです。
昔からある地名を簡単に消すのはどうかと思います。
もちろん富士山という名前にブランド力があるのはわかりますが何だかなと。
そんなことを言っていても始まらないので富士急行線内のE353系の旅を始めましょう。
富士急行線に乗るのは3年ぶり。
まず思ったのは遅い!
これに尽きます笑
特に急がない特急、富士回遊です笑
富士急行線の最高速度は60キロだから仕方ないんですけどね。
40分ほどの乗車で目的地の富士急ハイランドに到着
小さい駅に止まるE353系の雰囲気は新鮮でいい感じ。
駅名標はトーマスになっています。
すべての駅で駅名標がトーマスのキャラになっているそうですが、富士山や河口湖を抑えて富士急ハイランドがトーマスです。
トーマスランドの最寄ですし当然っちゃ当然かもですね。
富士急ハイランド駅はトーマス一色です。
E353系はソドー鉄道も走れたんですね笑
トーマスのキャラクターに0系が仲間入りするそうですし近い将来もしかして!?
ってそんなことはあるわけないですね笑
それでは今回はここまでです。
2015年1月 夢のアメリカ大陸サンフランシスコ旅行④ アルカトラズ島からの脱出 の巻
昨日は疲れからブログを休んでしまいましたが今日はしっかりと更新していきます!
仕事がひと段落ついて明日からは連休。
ようやく少しリラックスして休みを過ごせそうです。
ここ最近はストレスと疲れで最悪の状態でしたので…
それでは旅行記に入っていきます。
まずは前回の記事から。
今回からサンフランシスコ観光になります。
最初に観光で訪れたのはアルカトラズ刑務所。
映画「アルカトラズ島からの脱出」でも有名な場所。
そんなアルカトラズ刑務所へ行ってみたいと思います。
そもそもアルカトラズ刑務所とはどんな場所か?
サンフランシスコ市から2.4キロ離れた場所に浮かぶ小島にある刑務所。
初めは軍事要塞で使われ、その後刑務所になり、現在は国立公園にある博物館となっています。
「アルカトラズ島からの脱出」というだけあって頻繁に脱獄事件が発生。
計14回、36人が脱獄を試みていますが、誰一人脱獄に成功したものはいません。
サンフランシスコ市から2.4キロと比較的距離は近いものの、潮の流れが早く泳ぎ切ることはほぼ不可能だそうです。
そんなアルカトラズ刑務所へはツアー船が出ています。
割と大きな船なので船酔いが心配な人にも安心。
日本の軍艦島クルーズだと船が小さく湾の外に出るのでものすごく揺れます。
実際、一緒に行った友人は船酔いで軍艦島の観光どころではなかったですし。
アルカトラズ刑務所が見えてきました。
しっかりと手入れがされているので今でも使われているような雰囲気。
悪いことをしていないのに監獄に収監される気分です笑
上陸するとこんな感じ。
ここは何の施設でしょうか?
監獄に収監される前にまずは監獄の周りを巡ってみます。
焼け落ちた建物が。
こちらのタンクには何やら赤い文字が。
アルカトラズ島は刑務所として使われなくなった後、一時インディアンに占拠されていたそうです。
その際に写真の建物のように焼け落ちてしまったものも。
またタンクのようにインディアン達が書き残した跡も残っていたりします。
詳しくはインターネットにたくさん情報があるのでそちらもご覧ください。
今回の更新はここまでです。
次回は刑務所に収監されます笑
2015年1月 夢のアメリカ大陸サンフランシスコ旅行③ サンフランシスコの乗り物巡り の巻
国内旅行と違い1つの記事を更新するのに割と労力を使うので更新が遅め。
このサンフランシスコ旅行以降、毎年のようにアメリカへ行っていましたが、今年はコロナの影響で不可能に。
来年もどうなることやら。
早く自由に海外へ行ける日が来て欲しいです。
まずは前回の旅行記から。
サンフランシスコの朝はユニオンスクエアからスタートです。
ユニオンスクエアはダウンタウンの真ん中にあり椰子の木に囲まれた広場。
周りには高級ブランドのお店が集まり賑やかな場所。
しかし少し歩くと治安の悪いエリアになるのがいかにもアメリカらしいところ。
ちなみに治安の悪いエリアの入口にあるのが今回のホテルだったりします。
治安が悪いと言ってもホームレスが多かったり、薬の密売が行われたりというのが理由であることが多く、深夜に出歩かなければ大体は大丈夫だったりします。
もちろん極力は近付きませんし、周りを気をつけることは忘れてはいけませんが。
ユニオンスクエアの近くにはケーブルカーの始発駅があります。
サンフランシスコといえばケーブルカー。
小さい頃は単なる路面電車だと思っていたのでケーブルカーと知ってびっくりしました。
ケーブルカーの開業は1873年。
日本ではようやく鉄道が開業した頃。
車両はレトロなデザインをしていますが、1990年代に製造や修理されたものだそうです。
ケーブルカーについてはこの後にも出てきますので、詳しくはその際に書いていきたいと思います。
Fラインを走るPCCカー
1930年代にアメリカで開発され世界中に広まった路面電車車両。
都電の5500形はPCCカーの技術が導入された車両。
ちなみにこのFライン他の路線と違い車両の動態保存の要素が強く、PCCカー以外にも阪堺電車や広島電鉄の車両もいるようです。
名古屋市電に似たような塗装ですね。
再びケーブルカーに戻ります。
片運転台のため始終点には転車台があります。
街中に転車台があるのもなかなか面白いですね。
バスの写真も
この画像だとわかりにくいですが集団ポールが付いているのでトロリーバスです。
日本だと黒部ダムでしか見ることができないトロリーバスですが海外だと割と見かけます。
あとはアメリカのバスの特徴として前部に自転車を置くスペースがあるところ。
しかし1台しか乗せられないので、2台目以降の人はどうするのですかね?
今回はここまで。
次の記事からサンフランシスコ観光になります!
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1995年の記憶
最近仕事が忙しく、通勤時間も短くなりブログを書く時間がなかなか取れないので今日は小ネタになります。
他の人のブログを見ていると1番古い記憶はというテーマで書いている方がいたのでそのテーマで書いてみたいと思います。
平成4年生まれの自分にとって1番古い記憶は1995年1月17日。
真っ暗の中地震が起きて大泣きしたのが最初。
1995年1月17日といえば言うまでもなく阪神大震災の起きた日。
高速道路が落ちている映像、阪神電車の車庫が崩れてる映像、火災が起きている映像。
2歳半の幼心にも印象に残っている出来事。
3月の地下鉄サリン事件。
これも記憶に残っています。
地下鉄サリン事件が起きて以来地下鉄に乗るのが怖くなっていました。
阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きた1995年は自分にとって相当印象の強いだったようです。
そんな1995年に流行っていたのが岡本真夜のTOMORROW。
ドラマセカンドチャンスのオープニングテーマ。
ドラマも何となく記憶にありますし、何と言っても曲がとにかく好きでした。
今では流行りの曲に付いていくことができませんが、3歳の頃の自分は流行りの曲に付いていっていたようです。
今回は完全に繋ぎの内容でのブログとなりました。
明日以降はまた旅行記の更新ができたらと思います。
2015年1月 夢のアメリカ大陸サンフランシスコ旅行② アメリカ大陸上陸 の巻
世間では3連休最終日ですが、こちらは今日から仕事です。
3連休に結構人の移動があったみたいなので、数日後にはコロナの感染者は今よりも激増してそうですね。
経済を重視するかコロナ対策を重視するか。
難しいところです。
個人的には経済を回してもらいたいところ。
コロナで犠牲になる人よりも経済が滞ることによる犠牲のが多そうですし。
そんな暗い話ばかりしていても仕方がないので旅行記に行きましょう。
まずは前回の記事から。
機内では写真を撮影していないのでサンフランシスコ国際空港に着いたところから。
空港から市街地までは都市鉄道のBARTでの移動。
名前の通りサンフランシスコベイエリアをつなぐ鉄道。
総延長は152.9kmの路線で広軌を採用しています。
日本では広軌の路線は存在しないので、広軌を体験できるのは海外旅行ならではです。
停車中のBARTの車両
Cシリーズと呼ばれる車両で貫通路が特徴。
他に先頭車では流線型タイプのAシリーズもあり、そちらは東京メトロ千代田線6000系の基になった車両。
BARTでは新型車両の製造が始まっており2023年までに全ての車両が置き換えられる予定です。
BARTのきっぷはこんな感じ
ニューヨークの地下鉄と同じような形態です。
今は変わっているようですが。
海外を旅行しているときっぷ1つ取っても違いがあるので面白いです。
サンフランシスコの中心地パウエル駅で降ります。
ホテルの最寄駅でもあるのでひとまずホテルを目指します。
しかしここに来てトラブルが。
ネット環境が使えない中の旅行なので念入りに地図を調べてホテルの場所をチェックしていたのですがホテルが見つからない…
そうなると頼れるのは自分の中学生レベルの語学力のみですが、意外と何とかなりました笑
無事ホテルも見つけることができ一安心。
ちなみに宿泊したホテルはサンフランシスコ中心地の中では比較的治安が悪いと言われるエリア。
構えて行きましたがそこまで治安の悪い雰囲気はありませんでした。
今後する旅行に比べれば何ら問題のないレベルです。
もちろん夜遅くとかに出歩いたりはしてないですけどね。
今回はここまでになります。
次回からサンフランシスコの街並みを散策していきたいと思います。
2015年1月 夢のアメリカ大陸サンフランシスコ旅行① 旅の始まり の巻
サンフランシスコです!
今までグアム旅行を除いてひたすら国内旅行ばかりしていたのに突然海外になったのはなぜか?
もともとアメリカへ行きたいという願望は非常に強く、大学生になったらアメリカの大学に留学する。
そんな気持ちを持っていましたが、大学生になるとアメリカへの関心が薄れていき気づけば卒業が目前に迫る時期になっていたのでした。
卒業前にアメリカへ行っておきたいという衝動から今回のサンフランシスコ旅行を決めたのでした。
ではなぜアメリカが好きなのか?
NHKで繰り返し放送されていたので日本でも馴染みのあるドラマですが、初めて見たのは中学生になってから。
フルハウスを初めて見て以来アメリカの魅力に引き込まれていきました。
特にフルハウスの舞台であるサンフランシスコへの憧れは強いものでした。
初の海外1人旅でしたが、パックツアーには参加せず飛行機とホテルのみ手配してあとは現地で自由行動のプランにしました。
やっぱり旅先は1人で気ままに動くのが1番です。
それではサンフランシスコ旅行記に行ってみましょう!
飛行機は夜の羽田から。
フライトの時間に合わせて名古屋から東海道新幹線に乗り、品川で京急に乗り換えです。
品川で少し撮り鉄です。
ウイング号で使われるなど京急の花形と言ってもいい車両。
関東では珍しい2扉オールクロスシート。
800形
ダルマというニックネームで親しまれた車両。
2019年に引退し過去の姿になってしまいました。
羽田空港に到着。
夜の空港は綺麗でいいですね。
飛行機はあまり詳しくないので解説等ができないのが残念なところ。
それではサンフランシスコへ行く飛行機に搭乗しましょう。
UA876便
機材はB777
グアムに引き続きユナイテッド航空の利用。
特に指定したわけではなく、旅行会社から指定されたのがユナイテッドだったというだけでした。
ちなみに機内食はチキン。
米とパンが一緒に出てくるのには何度乗っても慣れませんが、機内食ってみんなが言うほど不味くないと思います。
温かいので駅弁と比べても美味しいように思います。
それでは約10時間のフライトでサンフランシスコを目指します!
次回から本格的に旅行記の開始です!
2015年1月 名鉄乗りつぶしの旅④ 名鉄の赤字路線たち の巻 終
今日は土曜日ということで休みでしたが家事をして昼寝をするだけの1日笑
こういうのんびり家で過ごすのも悪くないですけどね。
コロナでしばらくまた外出は難しそうな雰囲気に。
家でできる楽しみを見つけないとですね。
それでは短いですけど今回の旅行記になります。
名鉄編も今回で最後になります。
まずは前回の記事から。
途中の田神駅は2005年までは美濃町線との連絡線である田神線との分岐駅でした。
路面電車を運転できるということで注目を集めました。
あと数年でも持ち堪えていれば存続できたかもしれないと思うと残念です。
富山ライトレールの開業や環境に優しい乗り物ということで見直されてるわけですし。
広見とは沿線で1番大きな町である可児市の前身の広見町から。
新可児駅も昔は広見駅でした。
広見線は犬山から御嵩を結ぶ路線ですが、新可児駅を境に運転形態が完全に分断されています。
かつては特急なども来ていた御嵩駅は今では新可児と折り返しの普通列車のみ。
自分が小学生の頃祖父母の家に行った際の帰りに乗る常滑線の急行はだいたい御嵩行き。
行ったことないのにどこか馴染みのある地域だったりもします。
広見線の明智駅からは2001年まで八百津線が分岐していましたが、電化を止めてレールバスにしても状況は改善されず廃止になってしまいました。
そして広見線も新可児から先、御嵩までの末端区間も存続問題が出ています。
このままコロナが落ち着かず名鉄の体力がなくなればこちらも危なそうな気がします。
広見線を乗りつぶした後は犬山線、三河線、蒲郡線を乗り継いで蒲郡へ。
蒲郡はJRのイメージ、というより名古屋から蒲郡に行くときは値段も本数も所要時間もすべてJRが優位に立っています。
今ではローカル輸送のみの蒲郡線も観光路線として脚光を浴びていた時代も。
沿線には温泉地や愛知こどもの国、また名鉄の開発によりうさぎ島もありました。
しかし観光地の衰退や道路状況の整備により名古屋との直通運転はなくなり、吉良吉田と蒲郡を往復するのみに。
そして広見線の新可児から御嵩と同じように存続問題が出てしまっています。
蒲郡からは豊川線に乗るため豊川稲荷へ行きますが、名鉄を使っていては時間がものすごく掛かってしまうので蒲郡から豊川へはJRでショートカット。
とは言っても他の路線の大きな違いはありません。
名鉄で残すは三河線の梅坪から猿投、小牧線、瀬戸線の全線のみ。
まだ時間はあるので未乗区間を全線乗りつぶしして名鉄制覇をしたいところですが、日も暮れて景色も楽しめないので名古屋本線で名鉄名古屋へ戻り旅を終えました。
物理的には始発から終電1日で名鉄全線の制覇は可能みたいですがさすがにそこまでする体力はありません。
そんなわけで個人的に未乗路線をひたすら乗る旅行になりましたがそれでも割と長距離移動。
距離を調べたところ約470キロ。
一部JRを含んでいますが、よく1日で名鉄をこれだけ乗ったものです笑
次回から海外旅行記になります!
引き続きご覧ください!
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